ルークトゥンモーラム関連本 レヴュー

【雑誌】タイ歌謡が特集された1993年のミュージック・マガジン

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以前から、タイ音楽に興味を持ったキッカケを聞かれた時には「雑誌「ミュージック・マガジン」で特集されたタイ音楽の記事を読んで」と答えていたのですが、その本はだいぶ前に処分してしまったので、それがいつのどういった特集だったか明確な記憶がありませんでした。

もう一度その記事を読み返したいと思いつつも情報が無くて、なかなか見つかりませんでしたが、ようやくその本を発見しました!

その本はミュージック・マガジンの1993年5月号と6月号でした。

自分はてっきりプムプアンの生きていた頃(1992年6月以前)の記事だと思っていたのですが、それは自分の思い違いだった事がようやく判明しました。

しかし、自分がプムプアンを生前から知っていたことは確実なので、果してどのようにタイ音楽を知ったのか・・・?ますます分からなくなってしまいました(笑)。

それはさておき、この記事が掲載された時はまだ前川さんの本(まとわりつくタイの音楽)が発売される以前だったので、ノイズ1991年春号のコンサート・リポートと共に、当時のタイの音楽に関する情報としてはとても貴重なものでした。

20年も前の記事を読んだところで何になるのかと思われる方もいらっしゃるとは思いますが、今のルークトゥンとモーラムと比較してみることで、今のタイの音楽の理解がより深まる事もあると思います。

という訳で、簡単にここで書かれていることに関して触れてみたいと思います。

1993年5月号はコンサート・リポート

この記事は「めくるめくタイ歌謡の世界」と題されて、2回に分けてミュージック・マガジンに掲載されたものです。

作者はタイ音楽のみならず、当時からアジア各国のポピュラー音楽を精力的に紹介されていた松村洋さん。アジア音楽に関する書籍も多数出版されています。

内容は5月号では、バンコクで観たルークトゥン・モーラムのコンサートの現地リポートになっています。

◆めくるめくタイ歌謡の世界(上)「祭の夜空に響く歌声」(1993年5月号)

ここではバンコクのペップリー・タットマイ通りにあるというワット・マイチョンロムというお寺で9日間に渡って行われたルークトゥン・モーラムのコンサート・リポートについて書かれています。

この時の出演歌手はプムプアン亡き後のトップ歌手として活躍していたスナーリー・ラーチャシーマーをはじめ、シリントラー・ニーヤーコーン、サーティット・トンチャイ、「ボー・ラック・シー・ダム」でブレイクしたシリポーン・アムパイポン、若き日のチンタラー・プーンラープ、プムプアンの後継者ユイ・ヤトゥユなどなど。

ただ、残念ながら松村氏の都合でシリントラーやサーティットのコンサートは取材できなかったようです。

実際に現地でルークトゥン・モーラムのコンサートを体験した事がある人がこの記事を読んだら、大体同じ感想を持つと思いますが、会場の雰囲気は今も20年前も基本的に変わっていませんね

この時は入場料として50バーツを取られたそう。結構高いですね。今だったら100バーツくらいの感覚でしょうか。

貴重な若かりし頃のチンタラーとシリポーンのステージの様子

主に触れられている歌手はチンタラー、スナーリー、シリポーン。

チンタラーに関しては前川氏の本でも「いい年してステージでピョンピョン飛び跳ねている」とか書かれていましたが、ここでも「スキップなんかして・・・」とか書かれていてます(笑)。

しかもファッションがすごい。この時、彼女は22歳の誕生日直前だったそうですが、エッベオぶり(ぶりっこ)が良く分かる服装で、写真を見ると笑えます。

◆このコンサートの時のチンタラーのファッション。

スナーリーに関しては安定したステージだったようで、さらりと触れているだけ。言い換えれば、目新しい部分が見つからなかった、とも言えます。前川氏いわく「工夫がない」。

シリポーンのステージは当時、彼女は自身の楽団を持って活動していたようなので、その完成されたクオリティーの高いステージに松村氏も感心しております

ただ、シリポーンはもともと老け顔だったという事もあるでしょうが、「もう30歳を越えているのではないかと思われた」と書かれています。実際は当時は28歳でしたが。

それに「調子が悪かったのか(中略)、声が出ていなかった」とも書かれていますが、シリポーンは声をつぶしていますからね。あれが調子悪いとなると、今だに調子が良くないままになってしまいます(笑)。

◆ステージでのシリポーン

とは言え、さすが音楽ライター。洞察力が鋭いと思わせてくれる記述も沢山あります。

特に「寺祭りのショーは、私たちがふつうに考える“コンサート”ではないのだ。(中略)あらゆるものが乱反射し合って、きらめいている」という部分には膝を打ちました。

現地でコンサートを体験すると、いわゆるホール・コンサートに物足りなさを感じてしまうのは、こういう事が理由だったのだ、と。

ルークトゥン・モーラムを、ひいてはタイを知る上でもとても参考になるリポートだと言えます。

1993年6月号はアルバム紹介

そして、「めくるめくタイ歌謡の世界(下)」として6月号に掲載されているのは、当時のルークトゥン・モーラムのカセットを紹介する記事です。

◆めくるめくタイ歌謡の世界(下)「ルークトゥンとモーラムのアルバムを一挙に紹介」(1993年6月号)

ここではカムロン、スラポンなどのルークトゥンのオリジネーターからプムプアンはもちろんスナーリー、チンタラー、ユイ、バーンイェンなどの当時の人気歌手まで計24枚(本)のアルバムが取り上げられています

この頃の特徴としてはガントゥルム(กันตรึม)が取り上げられていることでしょうか。松村氏はガントゥルムに特に注目していて、ガントゥルム・ロックの人気歌手ダーキーとも交流があったという理由もあると思いますが(ここでも、もちろんダーキーのアルバムが取り上げられています)。

CDはまだまだ絶対数が少なかった、あるいは高価だったということもありますが、この頃はまだまだタイ現地ではカセットが主流でした。

さらに今はCDに番号はもちろん発売年月日まで記載されていますが、この当時は発売日はおろか番号も記載されていないものがほとんどでした。この辺が後々、プロフィールやディスコグラフィーを調べる上で手こずる理由だったりします。

まぁ、この頃のテープなんて今はほとんど入手は出来ないし(ヤオワラートとかに行けばありそうですが・・・)、よっぽどの好き者以外は聴こうと思わないでしょうが・・・。

でも、中には興味を引かれるものもありますね。ここで取り上げられているイウなんて全然知らなかったし。

イウ(อิ๋ว)ことピムパヨーム・ルアンロート(พิมพ์โพยม เรืองโรจน์)は当時人気のあった歌手のようです。「プレーン・ワーン」というテープは当時のベストセラーだったとの事。これは多分、ルークトゥンの名曲カヴァー集だったのではないでしょうか。

それと極悪ガントゥルム」というタイトルのポーンポット・ポンパックディー(พรพจน์ พลภักดี)のアルバムも聴いてみたいですね。ガントゥルムに関してはまだまだ知らないことが沢山ありますし。

ルークトゥンモーラムを知る上での貴重な資料

1993年と言えばバブルがはじけた後とはいえ、まだアジアの音楽が注目されていた時期でありました。しかし、雑誌なのでタイの音楽が特集されたのは自分が知る限りでは、ミュージック・マガジンのこの特集だけだったと思います。

しかも、20年経ってもその状況はほとんど進展していません。タイ音楽に関する単行本もこの20年で出版されたのはわずかに2冊のみ。

タイ音楽を聴く日本人のファンは確実に増えているかもしれませんが、環境は良くなったか、と聞かれると答えに困りますね。

でも、自分のようにブログなどを使って少しずつでも理解者を増やしていくしかないのかも知れませんね。

あと重要なのは、この頃はルークトゥン・モーラムを「タイの演歌」と表記していなかったという事ですね。ルークトゥンやモーラムに演歌を関連づけさせるのは比較的最近の事というのが、この頃の記事を読むと良く分かります。

今、この本を入手するのはかなり難しいと思いますが、たまに古本などで出てくることもありますので、見つけた際にはぜひ手にとって読んでみて下さい。

最後に松村氏がこの記事の最後に書かれている言葉は今でも充分通用する言葉だと思うので、それを拝借して、終わりにしたいと思います。

「タイの歌はまだ日本ではマイナーだけれど、タイ歌謡ファンの皆さん、明日を信じてがんばりましょう。」

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