
『タイ・演歌の王国』大内 治/著 (現代書館 1999年発行)
第一章・・・ルークトゥン・モーラムを見に行く
第二章・・・ハーン・クルアン(踊り子)考
第三章・・・《ルークトゥン》の世界
第四章・・・《ルークトゥン》を読む
ルークトゥンモーラムが日本人に知られるようになってだいぶ経ちますが、日本語で書かれたこのジャンルに関する本というのはまだまだ少ないのが現状です。
この本「タイ・演歌の王国」はそんな数少ない中の貴重な1冊です。
発行されてから長い時間が経ってしまっていますが、今でもルークトゥンモーラムという音楽を楽しむ上で重要な情報も多く書かれている、ファンにとっては価値のある本と言えます。
ただし、大内氏は「まえがき」でも書いていますが、この本はルークトゥンモーラムの専門書ではなく、歌詞から「タイ」という社会を読む、というスタンスで書かれています。
それは多分、この著者はもともと音楽好きだったという訳ではなく、たまたまタイでルークトゥンモーラムという音楽に興味を持っただけ、だからだと思います。
この本を読んでいると、「この人は音楽の事はあまり知らないんだろうな」と感じる部分が多々見受けられます。
ですが、本書にしか書かれていない情報なども多く、ファンにとっては参考になる内容である事は事実です。
本書の内容は、大きく前半と後半に分けることが出来ます。
前半の第一章と第二章はバンコクとイサーンでのモーラムを中心としたコンサートから見えるタイの社会と、コンサートの華「ハーン・クルアーン」を大内氏なりに分析した内容です。
シリポン・アムパイポンのコンサートでの衝撃の体験から始まるコンサート見聞録を読むと、タイにおけるコンサートのあり方というのが今も昔もまったく変わっていないというのが分かって興味深いです。外国人がルークトゥンモーラムのコンサートを観るには、本当に難しいのだなぁ、というのが身に染みます。
また、「ハーン・クルアーン考」は大内氏ならではの視点で描かれていて、興味深い内容になっています。自分は踊り子すべてを「ハーン・クルアーン」と呼ぶのかと思っていましたが、大内氏はハッキリと「ハーン・クルアーン」と「ダンサー」は違うという事を述べていて、この辺りは大内氏独自の考えが垣間見えて、なかなか面白く感じました。
後半の第三章と第四章はルークトゥンを扱ったパートで、第三章ではルークトゥンの歴史を、第四章ではルークトゥンの歴史的歌手のプロフィールと、ルークトゥン最大のヒット曲と言われているインヨン・ヨードブアガームの「ソムシー1992」の歌詞から、ヒットする曲の理由を考察しています。
◆インヨン・ヨードブアガーム(ยิ่งยง ยอดบัวงาม)/ソムシー1992(สมศรี1992)
この本を通して読むと、大内氏が主張する「ルークトゥンモーラムはタイが見えてくる音楽」という事が良く分かります。
今は沈静化していますが、完全に無くなった訳ではない赤対黄色の問題など、モーラムがタイ(特に中央)で過去、どのように扱われてきたのかを知ると、モーラムという音楽をより深く理解出来るような気がします。
また、ルークトゥンはあまり興味のない人が聴くとどれも同じような曲に聴こえるかも知れませんが、ひとつの曲に100の歌詞と言われるように、ルークトゥンの魅力の本質は歌詞にあるという事が本書を読むとよく分ります。
ただ、残念なのはタイトルに「演歌」という言葉を使っている点です。
ルークトゥンモーラムを実際に聴いたことのある方ならお分かりの通り、この音楽は歌謡性の高い音楽なので、演歌的な要素が含まれているは事実ですが、イコールで結べるほど狭い音楽性ではありません。
そこを安直に「演歌」という言葉を使ってしまった事で、世間に歪んだイメージを与える事になってしまったのは、大きなマイナス点です。
著者の大内氏は違うのかもしれませんが、多くの日本人は演歌に対して良いイメージを持っていません。
日本ではまだまだ知名度の低いこの音楽を、初めて聴く人にこの言葉を使えば、敬遠する可能性が大いにあることを、良く考えてタイトルを付けてほしかったというのが、ルークトゥンモーラムに関わる身としては思うところです。
とは言え、今もルークトゥンモーラムを知る上で避けて通れない本であることには変わりありません。