1月15日に公開され、10日間で1000万再生を記録しているアイドルグループBNK48の曲「ドート・ディ・ドン(โดดดิด่ง)」。
人気ドラマ「タイ・バーン・ザ・シリーズ(ไทบ้านเดอะซีรีส์)」とBNK48とのコラボレーション映画「ヂャーク・ヂャイ・プーサオ・コンニー(จากใจผู้สาวคนนี้ )」の挿入歌としてリリースされました。

映画「タイバーン×BNK48:ヂャーク・ヂャイ・プーサオ・コンニー」のポスター
◆โดดดิด่ง(ドート・ディ・ドン)- BNK48
プロデューサー兼アレンジャーに数多くのヒット曲を手掛けているジーニー・プータイ(จินนี่ ภูไท)を迎え制作されたこの曲は、BNKが初めてイサーン・マナーの曲に挑戦したという事で、アイドルファンのみならず、様々なリスナーをも巻き込んで、大きな話題になっています。
ネットの情報によると、100万再生を達成したのが彼女らのMVの中でも最短の10時間10分だったとか。
ただ、今のタイ音楽でヒットの基準になる再生回数は1憶回と考えてよいでしょうから、それを達成するまでの時間の方が重要です。
僕の知る限り、ここ最近の曲の中で1憶回達成の最速記録は、ラムプルーン・ウォンサゴン(ลำเพลิน วงศกร)「ラムカーン・ガ・ボーク・ガン・ドゥー(รำคาญกะบอกกันเด้อ)」の1ヶ月なので、それを超えるには1週間で2000万回以上にならなければならないのですが、この曲は果たしてどうでしょうか。
また、イサーンの楽器であるピンを模したギターのフレーズも聞こえる、タイらしい雰囲気を持ったこの曲は、その手の音楽を聴いた事が無かった人にはかなり新鮮だったようで、日本人もこの曲に関心を持っている人がかなりいるようです。
◆ドート・ディ・ドンに対する日本人の反応をまとめた動画「日本人はドート・ディ・ドンをどう思ってる?」
◆弟から「BNK48の新曲めちゃくちゃモーラムだからきいて」とLINEきて聴いたけどめちゃくちゃモーラムだった
◆モーラム(タイ東北部の伝統音楽、日本の演歌的)風BNK48の歌、いいな(笑)タイポップ!って感じがする。
◆BNK48の新曲、民謡みたいなノリになったけど中毒性があるww
◆BNK48の最新MV(映画タイアップ曲)、ピンプラユックというかモーラムというかルークトゥンというかとにかくイサーン音楽です!
◆アイドルソングはヲタしか聴かない。でも今回のโดดดิด่งはモーラムというタイの一つの文化だからタイ国民全体が対象になり得る。
モーラムは基本イサーン人しか聴きません。
それぞれのつぶやきに関してどうこう、というのはさておき・・・、
これらのコメントを見てて気になったのは、この曲を表現している言葉がみなバラバラな事。
「モーラム」、「モーラム風」、「ルークトゥン」、「民謡」、「タイ演歌」etc.
しかし、残念ながら、どれもこの曲を表現する言葉として適格と言えるか、というと、そういうには無理がありますね。
「モーラム」と「モーラム風」
これは完全に間違っているわけではありませんが、表現が大雑把すぎます。
このブログでは以前、タイ人(というかイサーン人)が使う「モーラム」という言葉には、様々な意味が含まれている、と書いたことがありますので、「だったらこの曲もモーラムでいいじゃん」という声も聞こえてきそうです。
しかし、イサーン人がモーラムと呼ぶ場合は、最低限の条件として「その歌手が(伝統的な)モーラムを歌う技量がある」という事と、「イサーンの出身である」事だと思っています。
そういう意味で、この曲を「モーラム」と一言で表現してしまう事には無理があります。
◆ラムヤイ・ハイトーンカムの事を、世間ではルークトゥン歌手と思っている人が多いかもしれませんが、モーラムもしっかり歌えるので、僕的にはモーラム歌手だと思っています。
「ルークトゥン」
これが違うというのは、この後詳しく述べます。
ちなみに、ルークトゥンの意味は「田舎者」という意味で、この手の音楽を差別的に表現する為に使われだした言葉、と言われています。
「タイ演歌」
ルークトゥンを聴いて、日本の演歌をイメージする人がいるのかもしれませんが(私はそう思ったことは一度もありませんけど)、音楽的には歌謡性が高いというくらいの共通点しかなく、ルークトゥンはスタイルも幅広いですし、雑食性も高いので、決してイコールで結びつけられる音楽ではありません。
先の動画でも演歌を例えに出してきていますが、ルークトゥンという音楽を日本に置き換えた場合、演歌に近いという捉え方も、演歌を知らない証拠でしょう。「艶歌」ではなく「演説歌」はプア・チーウィットに通じるメッセージ性を持った音楽ではありますが、もちろんそんな事は考えて言っている訳ではないでしょう。
◆ルークトゥンの女王と呼ばれたプムプアン・ドゥアンヂャン。幅広いタイプの曲を歌い、ルークトゥンの可能性を広げた。
こう表現が一定しないのは、ルークトゥンやモーラムが一聴して分かりやすい音楽ではないからでしょう。
ルークトゥンもモーラムも「この楽器が入っていなければダメ」という厳密なルールもありません。例えばインドネシアのダンドゥットの様な、分かりやすい明確なスタイルがある訳でもありません。
◆元が日本の曲でもクンダン(太鼓)とスリン(笛)を入れるだけで、ダンドゥットぽくなる。
以前、「ピンやケーンが入っていればモーラム」などと言っている人もいましたが、これはまるっきり頓珍漢な意見で、ピンやケーンが入っていてもルークトゥン(正確にはルークトゥン・イサーン)という曲は腐るほどあります。

タイ音楽の各ジャンルをまとめた「タイ音楽相関図」
では、今回のBNK48の新曲はジャンル的に何と言ったら良いのか、というと、
「歌謡モーラム」
というのが適切だと思います。それに、その方が日本人にも分かりやすいのではないでしょうか。
タイ語的にいうと「ルークトゥン・モーラム(歌ものモーラムという意味)」というのですが、日本語でこう書くと
「えっ?じゃあ、ルークトゥンなの?モーラムなの?どっち?」
と誤解される可能性が高いので、ここでこの書き方はしません。
では、なぜルークトゥンではなく歌謡モーラムなのかというと、曲中に「ラム(ลำ)」 と呼ばれるパートがあるからです(ただしBNKの曲では本格的なラムとは違い、あくまでも「ラム風」ですが)。
ラムというのは、語りの部分の事です。
ルークトゥンにはこのパートはありません。
ルークトゥン歌手の中にはイサーン出身でモーラムが歌える人もいるかもしれませんが、それ以外は基本的にモーラムは歌えません。
ラムが入っている時点で、「ルークトゥン」という言葉だけではかたずけられない曲、という事です。
本来「モーラム」は「モー(หมอ)=専門家」、「ラム(ลำ)=語り」で「語りの専門家」という意味なのですが、今では音楽の総称として使われることが多くなっています。
つまり、モーラムは語り物の音楽なのです。
このラムの部分が入るかどうかが重要で、これが有る事で、様々なスタイルを取り入れてもモーラムとして認識されるのはこの為です。
◆歌謡モーラムの分かりやすい例。แสงดาว พิมมะศรี(セーンダーオ・ピムマシー)- นางฟ้าสารภัญ(ナーンファー・サーラパン)
この曲で途中、早口になる部分があります。そこがラムと呼ばれるパートです。
BNKの曲でいうと「ヂャンワ・マン・ハーウ・・・」と歌っている部分なのですが、彼女たちは当然モーラムの訓練をしていないので、セーンダーオの曲のラムのパートのように難しいものではなく、かなり歌いやすくされています。
ちなみに、歌謡モーラムでのラムは決まった歌詞がありますが、本格的なモーラムでは、その場の状況に合わせて即興で歌われます。
もしかしたら今回のBNKの曲で、ルークトゥンモーラムに興味を持ってくれる人が増えるかもしれない、という淡い期待を抱いていますが、その為にはやはり正しい情報を伝えていく必要があります。
僕がタイ音楽を聴き始めた1990年代は、インターネットが無かったのでタイ音楽の情報は限られていましたが、その代わり情報を伝える人もしっかり下調べをした上で記事を書いていたので、間違えた情報は少なかった気がします。
しかし、今は誰もが気軽にインターネットで情報を発信できてしまうので、しっかり調べもせずに間違った情報がアップされたものをそのまま信じる人もたくさんいます。
ルークトゥンモーラムはその典型ですが、だからといってそのまま放っておけば、修正するのが難しくなってしまいます。
タイ音楽がたくさんの人に興味を持たれ、それをシェアしてもらえるのは嬉しいのですが、しっかり情報を精査した上で発信していただければと思います。
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