コラム

【「モーラム」をめぐる解釈】日本人とタイ人の認識の違いを考える

更新日:

Pocket

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

昨年はなかなか更新できなかったこのブログですが、今年もマイペースでやって行きたいと思います。

2019年は前身ブログ「タイ式エンタテイメントの楽しみ方」から数えると、ブログを始めて10年目の節目に当たります。

なので、そういう意味も含めて、ブログだけではなく色々な企画もやってみたいと、いろいろと計画しています。

それと、雑誌「ワイワイタイランド」で連載させていただいているコラム「華麗なるモーラムの世界」も、おかげさまで開始から1年が経ちました。

2019年1月10日発売号では改めてモーラムの魅力を考えてみました。

その中で、タイ現地で聴かれているモーラムは日本人がイメージしているステレオタイプな音楽とは違うという趣旨の事を書きました。

この事は以前から気になっていた事なのですが、限られた文字数ではあまり詳しく書く事が出来なかったので、2019年一発目の記事はその辺を掘り下げて、タイ人が考えているモーラムと日本人が考えているモーラムはどう違うのかを考えていきたいと思います。

モーラムが辿って来た道のり

まずは本題に入る前に、モーラムという音楽はこれまでどういう過程を辿ってきたのかをおさらいしてみたいと思います。

「モーラム(หมอลำ)」とはタイ東北部(イサーン)からラオスにかけて分布するラーオ文化の民俗音楽のひとつで、「モー」はその道に精通した人(達人)、「ラム」は歌あるいは語りを意味しています。

ですので、本来は「歌、語りの達人」となるのですが、一般的にはその芸能を意味する言葉としても使われています。

ケーンなどの民俗楽器をバックに即興を交えながら語り歌うのが基本な形です。

ただ、モーラムの中にも様々なスタイルがあり、ケーン1本でひとりの歌手が歌う最も古いスタイルである「ラム・プーン」や、ペアで歌う「ラム・グローン」、リケーの影響を受けて仏教説話や民話をモーラムで歌う「ラム・ムー」(現在のモーラム楽団のルーツ)、ラム・ムーがさらに発展した「ラム・プルーン」、その他にも「ラム・ローン」、「ラム・トゥーイ」など様々なスタイルがあります。

代表的な歌手はケーン・ダーラオ(เคน ดาเหลา)、チャウィーワン・ダムヌーン(ฉวีวรรณ ดำเนิน)、ブンペン・ファイビウチャイ(บุญเพ็ง ไฟผิวชัย)などが日本でもよく知られているところでしょう。

◆タイ国家認定芸術家ケーン・ダーラオの代表曲「ソーン・プータオ(人生の先輩からの教え)」

◆日本での知名度も高いチャウィーワン・ダムヌーン

さらに1970年前後から欧米の音楽の影響を受けてドラムスやベースなどが導入され、モーラムは民俗音楽から流行歌へと変化していきます。それに伴い詞も説話的なものから日常や恋愛を歌う内容へと変化していきました。

その後は「モーラムの女王」と呼ばれたバーンイェン・ラーケーン(บานเย็น รากแก่น)というスター歌手が登場し、様々な要素を取り込んで人気を博したり、ラートリー・シーウィライ(ราตรี ศรีวิไล)が考案したアップテンポのモーラム「ラム・シン(ลำซิ่ง)」が広まるなど、民俗音楽としてのルーツを保ちつつポピュラー音楽としても発展していきました。

◆バーンイェン・ラーケーンのコンサート映像

◆ラートリー・シーウィライによるラムシン

ちなみにラートリー・シーウィライはケーン・ダーラオとブンペン・ファイピウチャイという伝説のモーラムの間に生まれた娘です。伝統的なモーラムを教わってきたであろう彼女が最先端のモーラムを編み出した事は、モーラムの懐の深さを感じさせる出来事でもあります。

こうして足早に歴史を振り返ると順調に発展してきたように感じてしまいますが、商業化の過程でモーラムは大きな問題にぶつかります。

それは「モーラムは売れない」という事です。

ルーツを大切にしつつ発展して来たと書くと非常に美しい話のように聞こえますが、語り芸の宿命である「ヴァリエーションの乏しさ」をモーラムも背負っていました。

詞の内容の違いこそあれ、音楽的にはどれを聴いても同じように聞こえてしまうという徹底的な欠点。レコード産業が誕生し、商品として流通し始めたモーラムが売れないのは当然でした。

そこで考え出されたのが、当時全盛期であった「ルークトゥン」の歌の部分を取り込んでヴァリエーションを付けるという方法でした。

と、サラッと書いても、「ルークトゥンとモーラムってどう違うの?」と思われている方もいらっしゃるかもしれません。

ですので、先に進む前に、ルークトゥンについても簡単に触れておきたいと思います。

ルークトゥンの全盛期と衰退

ルークトゥンはタイ全土で聴かれている歌謡主体のポピュラー音楽です。

ルークトゥンがどのように誕生したのかは諸説ありますが、本「まとわりつくタイの音楽」の中で前川健一さんは、「ルークトゥンの原型はスンタラーポーン(สุนทราภรณ์)というフィルターをラムウォン(รำวง)だろう。これを原形にタイの古典音楽やラテン音楽、ジャズや映画音楽、それにカントリーといったアメリカ音楽、中国やインドの音楽、そして日本の歌謡曲など、さまざまな音楽を取り入れて、ルークトゥンは成長していったのである。」(P.94)と書かれています。

◆スンタラーポーンによるソンクラーンのラムウォン

「(プレーン)ルークトゥン」とは「田舎者の歌」という意味で、1960年代にラジオDJがこの音楽をバカにして呼んだ事からジャンルの名称として定着したという事です。それ以前は「プレーン・タラート(通俗歌)」と呼ばれていたそうです。

ルークトゥン最初のスターだと言われたカムロン・サンブンナーノン(คํารณ สัมบุณณานนท์)という歌手が歌い始めたのが1940年代からだったというので、ルークトゥンという音楽が誕生したのもその前後だったのではないかと思います。

その後、1950年代に入り「ルークトゥンの王」と呼ばれたスラポン・ソムバッジャルーン(สุรพล สมบัติเจริญ)の活躍によってこの音楽のスタイルが確立され、初代ルークトゥンの女王ポンシー・ウォラヌット(ผ่องศรี วรนุช)や貧しい家庭の出身ながら国民的歌手になったプムプアン・ドゥアンヂャン(พุ่มพวง ดวงจันทร์)など多くのスター歌手を生み出しました。

なお、この頃のルークトゥン歌手はほとんどがタイ中部の出身でした。

◆スラポン・ソムバッチャルーン「コン・フアラーン(髪の毛のない人)」

スラポン活躍前後のルークトゥンはスローテンポでしっとりとした曲が多く、またリスナーの中心であった農民や労働者もその手の歌を好んだようです。

やがて1980年代半ば頃からプムプアンがロックを取り入れリズムを強調した曲を歌い始め、人気を博します。これが現在、我々にもなじみのあるルークトゥンのスタイルの始まりでした。

◆死後20年以上経つにも関わらず、今だタイ国民に愛され続けているプムプアン・ドゥアンヂャンの代表曲の1曲「コーハイ・ルアイ(あなたに富あれ)」

しかし、1960~90年前半頃まで全盛期を誇ったルークトゥンですが、1992年のプムプアンの死後、その力を徐々に失っていきます。

前川さんは先の本の中で「ルークトゥンは低迷を続けるだろう。駒がないのだ。アルバムの企画を工夫する事もせず、歌手もマネージャーも事務所もコンサートの質よりも回数を重視し、アルバムも同様に質より制作本数を重視し、新人を育てる努力をしてこなかった。(中略)現在もテープが売れるのは遺産があるからだ。」(P.134)と記しています。

しかし、もしかしたら過去の音楽になっていたかもしれないルークトゥンが現在も生き残る事が出来たのは、モーラムとの関わりが重要になってきます。

様々な要素を取り込んで発展していったモーラム

ここまでの説明で、ルークトゥンとモーラムが別々の音楽であることは解っていただけたでしょうか。

ここで今一度、モーラムがヴァリエーションをつける為にルークトゥンを取り込んでいったという話に戻りたいと思います。

モーラムは商品的価値を上げる為に、ラムの部分を残してルークトゥンのメロディーを取り入れる事によって、音楽的なヴァリエーションを付ける工夫をしました。

そうして作られた音楽は「ルークトゥン・モーラム(歌のあるモーラム)」と呼びます。

ただし、タイ人はそんなまどろっこしい言い方はせず、普段はただ「モーラム」としか言わないのが一般的です。

◆ルークトゥンモーラムの代表曲「グラープデーン(赤いバラ)」(作詞・作曲:ダーオ・バーンドーン、歌:ソムジット・ボートーン)

ルークトゥンを取り込んで「ルークトゥン・モーラム」というスタイルを作ったモーラムですが、それとは別にイサーン語で歌うルークトゥン「ルークトゥン・イサーン」は以前からありました。

さらにモーラムはロックやダンスミュージックなどの外国の音楽を貪欲に取り入れて、ますます音楽性を拡大し続けていきます。

◆モーラムにロックを導入したロック・サドゥーの曲「シン・サドゥート」

なおかつ、タイの高度経済成長とイサーンの変わらない貧しさによりバンコクをはじめタイ各地にイサーン人が散らばったことにより、イサーンの音楽が全国的に聴かれるようになりました。

こうしてモーラムをルーツとしたイサーンの音楽は音楽性だけでなくマーケットとしても拡大していき、かつてルークトゥンが担っていたその立場を受け持つ事になります。

現在ヒットチャートに登場するほとんどの曲がイサーン出身の歌手によって歌われている事からも分るように、かつてタイ中部出身歌手によって占められていたルークトゥンは、完全にイサーンの歌手達にその場を奪われました。

ただ、モーラムがルークトゥンを取り込む事をしなければ、ルークトゥンは間違いなく衰退していったでしょう。そう考えると、「ルークトゥンはモーラムに救われた」ともいえるかもしれません。

タイで人気の音楽配信サイトJOOXの2019年1月7日付最新ルークトゥン・チャート。トップの10曲すべてがイサーンの曲で占められている。

しかし、音楽性を広げる為に作られた様々なモーラムのスタイルですが、本来でしたら別々の名称で呼ぶべきところ、タイ人は省略をしてすべて「モーラム」の一言で片付けてしまいます。これが外国人である我々を悩ませる事になるのです。

三度、前川さんの言葉を借りると「タイ人の感覚では、モーラムの味が少しでもあれば、モーラムの一種と感じるようだ。」(P.322)と書かれていますが、これは自分がタイ人とのやり取りで感じた事とまったく同じで、今はさらにモーラムにルーツがあれば「モーラムの味」が無くても、タイ人はそれを「モーラム」と呼んでしまっているというのが、タイで沢山コンサートを観たり、タイ人との付き合いで導き出された結論です。

日本人とタイ人の「モーラム」に対する認識の違い

ここからがようやくこの記事の趣旨なのですが、本題に入る前にひとつ質問をさせていただきたいと思います。

それは、タイ人から「今日はモーラムを観に行く」と言われた時、皆さんはどんな音楽を連想するでしょうか。

多分、日本人がすぐに思い浮かぶのは、先に動画で挙げたケーン・ダーラオやチャウィーワン・ダムヌーンが歌っているような、ケーンやピンの演奏をバックに男性と女性が朗々と歌う音楽ではないでしょうか。

しかし、この場合タイ人が言っているのは「モーラム楽団を観に行く」という意味です。

モーラム楽団はタイ語で正確にいうと「ムー・モーラム(หมู่หมอลำ)」と言いますが、日常会話でタイ人がわざわざそういう事はほとんどありません。

多くの日本人が連想するモーラムが間違いではありませんが、それはモーラムの一部でしかなく、タイ人が使うモーラムという言葉にはこれまで説明させて頂いたように沢山の意味が含まれています。

日本人とタイ人のモーラムに対する認識の違いを図にするとこんな感じ。

先の質問でもモーラムという言葉が100%モーラム楽団を意味する訳ではありませんが、前後の会話の状況から考えて、この場合のモーラムは何を意味しているのかを判断する必要があります。

それに対して日本人はモーラムに固定のイメージを植えつけてしまっているような気がします。

それはタイ人のように常に身の回りにモーラムがあるわけではないので、仕方ないといえばそうなってしまうのですが、やはり情報発信者が非常に偏った情報しか伝えていないという事も要因のひとつであると思います。

実際、自分はタイに行くまでモーラム楽団というのは、シアンイサーン以外すべて無くなってしまったと本気で思っていました。

しかし、わずかな情報を頼りにモーラム楽団のコンサートへ行ってみると、そこにはこれまで観てきたルークトゥンのコンサートでは考えられないほど多くの観客が集まっていたのです。この事実を知った時は本当に衝撃的でした。

また、最近このブログでもお伝えしているロットヘー(รถแห่)というスタイルも、これまで長い間イサーンで行われてきていたにもかかわらず、日本人でこの情報を発信している人は自分が知る限りひとりもいませんでした。

こういう事から考えても、日本人が認識している「モーラム」という音楽はこのジャンルのほんの一部でしかなく、実際にタイが考えている「モーラム」には大きな隔たりがある、と以前から感じていました。

日本人はモーラムを知っているようで知らない

こうなってしまったのは、やはり情報不足が原因であることは間違いありません。

他の東南アジア圏の音楽に比べると、タイの音楽は情報がある方ですが、それでも先のモーラム楽団やロットヘーのように、まだまだ知られていない事はたくさんあります。

それは情報を発信する側である自分にも責任があると思っています。

モーラムがもっと楽しい音楽である事を日本のリスナーに伝えるにはどのようにしたら良いのか、そういう事は常日頃考えていますが、モーラムの本当の魅力を知るにはCDやインターネットの動画では限界があります。

やはり最終的にはタイに行って現地で生のモーラムを体験してほしい、というのがこのブログの目指すところでもあります。

コンサートでタイ人の観客の中に紛れ込んで行って、日本では考えられない爆音の中で体中にモーラムを浴びれば、文字や小さな音では知る事が出来なかった情報があふれています。

最近は日本でもタイ人のアーティストを招いてコンサートが行われていますが、それをはるかに上回る狂乱の世界がそこにはあるのです。

◆コンケーンでのプラトム・バントゥンシン楽団開きコンサートより、エンディング・メドレー(2018年10月11日)

モーラムに興味を持ったら、ぜひタイに行ってコンサートを観てください。

そうすれば、きっとモーラムの本当の面白さが解るはずです。

※参考文献:前川健一著「まとわりつくタイの音楽」(めこん)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

スポンサーリンク




スポンサーリンク




おすすめ記事

-コラム

thThai
jaJapanese thThai

Copyright© ルークトゥンモーラム・ファンクラブ , 2019 All Rights Reserved.