天候に恵まれ、多くの人で賑わった5月中旬の東京・代々木公園。
ここでは毎年この時期になるとアジア関連のイベントが毎週末行われます。
中でもタイフェスティバルは2日間で40万人ほどが集まる大人気のイベントです。
既にタイが好きな人にとってはおなじみのイベントですが、まだタイに行ったことがない人にとっても会場ではタイの食べ物をはじめ、雑貨や観光地の紹介など、日本にいながらにしてタイを満喫できる絶好の機会。
そして目玉は何と言っても、本場タイからやってくる歌手やバンドによるコンサートです。
それも、トップクラスの人気バンドや、現地でも滅多にお目にかかることが出来ない歌手などがこの日の為に来日します。なので、タイ音楽ファンにとっては毎年誰が来るのか、この時期になるとよく話題になるほどです。
今年も豪華ラインナップになった出演陣。ロックバンドのZeal(シール)やおなじみのベテラン歌手パラポン、タイでは社会現象並みの人気になったBNK48の選抜メンバー、さらにこれから人気が出るであろう実力派の若手歌手など、ヴァラエティー豊かなラインナップになりました。
ルークトゥンモーラムが好きな人にとって注目だったのは、国家認定歌手の称号を持つモーラムの女王バーンイェン・ラーケーン(บานเย็น รากแก่น)が娘のキャンディーを引き連れて登場したことです。伝説の歌手による本物のモーラムに酔いしれました。
彼女の生歌は今やタイでもそう簡単に聴けるものではありませんので、この日バーンイェンの歌を聴く事が出来た人は本当にラッキーだったと思います。
そして、もうひとつの楽しみだったがルルー・ララーとビウ・ガンラヤーニー(บิว กัลยาณี)というR-Siam所属の歌手達によるコンサートです。
ルルー・ララーは既に日本に来た事がありますが、ビウに関してはこれが初めて。ルークトゥンファンには古くから知られた人気歌手で私もお気に入り歌手の一人でしたので、彼女の歌を聴く事が出来るのを楽しみにしていました。
実はビウのコンサートは5年ほど前にバンコクで何度か観た事がありました。
◆2014年5月29日、インパクト・チャレンジャーでのイベントにて。
その後はすっかり彼女のコンサートを観る機会がなくなってしまったので、本当に久しぶりのステージを心待ちにしていました。
今回、運良くビウにインタビューをさせてもらえる機会をいただく事が出来ましたので、当日のコンサートリポートとあわせて紹介したいと思います。
その前に、ビウの簡単なプロフィールとディスコグラフィーを紹介します。
ビウ・ガンラヤーニー・プロフィール
ビウは1985年12月12日、タイ南部のスラータニーで生まれました。本名はガンラヤーニー・ヂアムサグン(กัลยาณี เจียมสกุล)。兄弟はビウを含めて3人だそう。
幼い頃から歌う事が好きだった彼女は、現地の歌のコンテストに沢山出たそうです(その辺りの事はインタビューで詳しく語ってくれていますので、そちらをご参照ください。)
R-Siamから「ノーブラー・ノーラー(โนบรา- โนราห์)」で歌手デビューしたのが2006年。ビウが20歳の時でした。
デビュー曲からヒットに恵まれる歌手はそう多くありませんが、彼女は運良くこのデビュー曲がヒットし、一躍人気歌手の仲間入りします。
さらに、デビューアルバムから1年後の2007年にリリースしたセカンドアルバム「ピアン・ソーン・ラオ(เพียงสองเรา)」がデビュー曲を超える大ヒットとなり、ビウの人気を決定付けました。
そして、現在までにオリジナルアルバム4枚を発表。他にもカヴァーアルバムを2枚制作し、他の歌手とのコラボレーションも多数あり、そのどれもがヒットするという、名実共にルークトゥンを代表する歌手と言えます。
ビウ・ガンラヤーニー・ディスコグラフィー
『ノーブラー・ノーラー(โนบรา-โนราห์)』(2006年)

ビウの記念すべきファーストアルバム。
まだ絶頂期ほどの説得力のある歌にはなっていませんが、すでに基礎はしっかり出来上がっています。
ビウの歌唱力には定評がありますが、デビューの頃から上手かったという事がこのアルバムを聴くとよく分かります。
ジャケットの写真は今とは別人のように細いですけど555
◆โนบรา-โนราห์(ノーブラー・ノーラー)
『ピアン・ソーン・ラオ(เพียงสองเรา)』(2007年)

ビウの人気を決定付けた、2007年発売の名作セカンドアルバム。
彼女の今につながる歌のスタイルは、ここで完成したといっても過言ではないでしょう。
タイトル曲の「ピアン・ソーン・ラオ」は秀逸なMVと相まって、大ヒットしました。
この曲のMVはバウウィー、ルアンガイの曲との3部作になっていて、続けて観るとストーリーが分かります(ビウの曲はPart2)。
◆バウウィー(บ่าววี)「コーン・マイ・カップ・ルア(ขอนไม้กับเรือ)」
◆ルアンガイ(หลวงไก่)「コープクン・ティー・ヤン・ラック・ガン(ขอบคุณที่ยังรักกัน)」
◆เพียงสองเรา(ピアン・ソーン・ラオ)
『バントゥック・プレーン・ラック(บันทึกเพลงรัก)』(2008年)

オリジナルアルバムが2枚続いた為なのか、ここで変化球ぎみにカヴァーアルバムが作られました。
しかし、この頃のビウは人気の波に乗っていたこともあって、こちらも大ヒットしました。
選ばれている曲の元歌は、ルークトゥンというよりもロックやプアチーウィットがほとんど。
しかし、表現力の高いビウの歌はカヴァーという事を忘れさせてくれるクオリティーの高さで、どの曲も聴き入ってしまいます。
特にヒットした「ンガーイ・グーン・パイ(ง่ายเกินไป)」のオリジナルはTHE SUN。
◆ง่ายเกินไป(ンガーイ・グーン・パイ)
『ガムランヂャイ・ヂャーク・デーングライ(กำลังใจจากแดนไกล)』(2009年)

カヴァーアルバムをはさんで2009年にリリースされた、オリジナルのサードアルバム。
毎年、確実にアルバムを作らせてもらえたというのは、彼女の歌は出せば売れると、よっぽど会社から信頼されていたからではないでしょうか。
しかも、どのアルバムにもしっかりと彼女の代表曲となるような名曲を入れてくるあたり、この頃のビウは絶頂期であった事を物語っています。
このアルバムでは「ポ・チェ」、「イッチャー」という今でも人気の曲を収録。
この2曲は今回のタイフェスでのコンサートでも歌っていました。
◆โป็ะเชะ(ポ・チェ)
◆อิจฉา(イッチャー)
『バントゥック・プレーン・ラックVol.2(บันทึกเพลงรัก เล่ม2)』(2010年)

大ヒットしたカヴァーアルバムのシリーズ第2弾。
ビウの歌は相変らず素晴らしいけど、Part2という事もあって、Part1よりは若干テンションは落ちてしまっている事は否めません。
ヌー・ミター、グン・スティラートとのデュエット曲を含む12曲を収録。
◆อย่ากลับมา(ヤー・グラップ・マー)
『コンディー・チョープ・ゲーカイ、コンラーイヂャイ・チョープ・ゲートゥア(คนดีชอบแก้ไข คนหลายใจชอบแก้ตัว)』(2012年)

CDアルバムという形態ではこれが最後になってしまった、2012年発売の4thアルバム(現在R-Siamは盤面制作を終了しています)。
やたら長いタイトルはタカテーンあたりを意識したのでしょうか。
ロックよりのアプローチをした曲があったり、いろいろチャレンジしていますが、絶頂期のような良い曲が無いのは残念。
◆คนดีชอบแก้ไข คนหลายใจชอบแก้ตัว(コンディー・チョープ・ゲーカイ、コンラーイヂャイ・チョープ・ゲートゥア)
なお、ビウの現在の所の最新作は2018年にリリースされた、タイで放送されたインド・ドラマのタイ版テーマ曲のようです。
◆ルー・ケー・チャン・・・ラック・トァー(รู้แค่ฉัน..รักเธอ)
ビウ・ガンラヤーニー・ライブ@タイフェスティバル東京2019
それではここからようやく、先日の5月11・12日に代々木公園で行われたタイフェスティバルでの、ビウのステージのリポートをお届けしたいと思います。
タイフェスはよく雨に降られる事があるのですが、この日は両日共に晴天に恵まれ、大勢集まったお客さんたちも大いに盛り上がりました。
久しぶりに見たビウは、以前と変わらずデニム系のファッションに身を包み登場。
太りやすい体質なので、体型が変わっていたらどうしようと思いましたが、そんな事はなく、激やせした訳ではありませんが、以前と変わらない、イメージ通りのビウがそこにいました。
心なしか、かつて観た時よりも声が出ていないような気がしましたが、安心して聴ける歌と時々入る「イャッホーッ!」という掛け声はまだまだ健在でした。
彼女の持ち前の明るいキャラクターで、冗談を交えつつ進行したステージは、日本人・タイ人のお客さんもとても楽しんでいたようでした。
両日ともにプログラムは基本的に同じで、ビウが歌った曲は「ポ・チェ」、「ピアン・ソーン・ラオ」、「イッチャー」、「ノーブラー・ノーラー」といったオリジナル曲に加え、クラテーなどR-Siamの他の歌手の曲をルルー・ララーと共に歌っていました。
しかし、この時はルルー・ララーというまったく地域が違う歌手との組み合わせの上、イニシアチブを彼女らが握っていたため、ビウは若干やりにくそうな感じがしました。
特にカヴァー曲はほとんどイサーンの曲だったため、普段はイサーンの曲を歌わないビウにとっては、極端に言ってしまえば外国の曲と同じような感覚だったのではないでしょうか。
実際、2日目だけ歌われた「プーサオ・マックムアン」では、曲中でモーラム楽団の名前を連呼する歌詞があるのですが、まったく分かっていないようで、ビウの口の動きを見ていたら、全く動いていませんでした(笑)
そんな事で、100%のビウの実力が発揮されていたとは言い難かったのですが、日本で彼女のステージが観る事ができた、ルークトゥンファンにとっては記念すべき日になりました。
◆ビウ・ガンラヤーニー@タイフェスティバル東京2019(1)
◆ビウ・ガンラヤーニー@タイフェスティバル東京2019(2)
日本初!ビウ・ガンラヤーニー独占インタビュー
最後に、12日のコンサート終了後、ビウにインタビューをさせていただく機会をいただきました。
10分という短い時間だったのと、僕がインタビューに慣れていない事もあり、大した質問が出来ませんでしたが、日本語でビウにインタビューしたのはこれが初めてのはずなので、とても貴重な時間をいただけたと思います。
また、しどろもどろの僕の日本語を上手に訳してくれたタイ王国大使館の方に、ここで改めて感謝の意を伝えたいと思います。
ーーようこそ日本にいらっしゃいました。ビウさんが日本に来られるのは、今回が初めてですよね。
BEW「はい、初めてです。」
ーーいかがですか、日本の印象は?
BEW「もし住む場所がタイでないなら、絶対日本に住みたいと思っているほど、日本の事が好きでした。」
ーー今回、ルルー・ララーさんと一緒のコンサートでしたが、ビウさんは南タイの出身で、ルルー・ララーさんはイサーンの出身と、出身地域の違う歌手との組み合わせですが、かつてこういう形でコンサートをされた事はあるんですか?
BEW「あまりそういう機会はありませんが、8~9年前にルルー・ララーさんが所属していた楽団(ポーンラーン・サオーン)にゲストで出演した事があり、その時は1~2曲歌ったぐらいでした。本格的な共演は今回が初めてです。」
ーー普段はやはりイサーンの歌を歌う機会というのはそう無いですよね。
BEW「そうですね。ルークトゥンは出身地域の歌を歌うケースがほとんどで、歌詞にはその土地土地の方言も使われているので、細かいイントネーションなどを表現できるのは、その地域出身の歌手でしか出来ないからです。」
ーーそうなると、コンサートもビウさんだったら出身地域の南部ですることが多いのでしょうか?
BEW「コンサートは(依頼があれば)タイ全土で行っています。」
ーービウさんは日本のルークトゥンファンの間では本当に人気があって、僕も今日はビウさんのCDを持ってきました(と、持参したビウのCDを本人に見せる)
BEW「デビューしてから(今年で)13年になりますが、最初はオーソドックスなルークトゥンを歌っていましたけど、徐々にプアチーウィットの要素も取り入れ、南部の方言で歌うようになったんですけど、それが運良く世間に認知されて、ここまで歌い続ける事ができました。」
ーービウさんの歌唱力の高さはは以前から日本のルークトゥンファンの間でも評価されていたのですが、歌はいつ頃から歌い始めたんですか?
BEW「地方やテレビ局の歌のコンテストには3歳の頃から出ていました。ただ、その頃はあがり性でマイクが怖く、人前に出ることが苦手だったので、段階を踏んで時間をかけてその辺を克服していきました。」
ーービウさんが目標としていた歌手はいたんですか?
BEW「プムプワン・ドゥワンヂャン(พุ่มพวง ดวงจันทร์)です。ルークトゥンの女王と呼ばれた人ですので、歌唱力を目標にしたのは当然なんですけど、歌詞を覚える早さや舞台上での立ち居振る舞い、プライベートに至るまで、全てが私にとっての目標でした。」
ーープムプワンは南タイでも人気があったんですね。
BEW「彼女はタイ全土で人気がありましたね。だからこそ、ルークトゥンの女王と呼ばれたのだと思います。」
ーーここから、ちょっとプライベートな事をうかがいたいのですが・・・、結婚されるご予定は?
BEW「(笑)今、お付き合いさせて頂いている方はいます。けど、まだ結婚というまではいかないですね。ただ、その人は交換留学で2年間日本にいたことがあって、彼が体験した日本の文化などの話をしてくれていました。」
ーーそれが日本に興味を持つキッカケになったんでしょうか?
BEW「そうです。日本人の他者に対しての誠実さや、規律正しい中にも優しさがあるなどの話を聞いて、すごく感銘を受けました。」
ーー日本で遊びに行って楽しかった所とかはありましたか?
BEW「まだ、どこにも行ってないんです。ただ、もともと和食が大好きなので、今回は2日間しか時間がありませんが、色んなお店に行ってみたいです。タイでも沢山の和食レストランに行っています。」
ーー南タイにも和食のお店はあるんですか?
BEW「ありますよ。でも、日本人が作っているお店とタイ人が作っているお店は全然違うので、より本物の味に近い、日本人が作っているお店に行くようにしています。」
ーー今回、ビウさんのコンサートを観る事が出来ましたが、タイでのビウさんのコンサートはダンサーも引き連れて、とても楽しいコンサートなので、今度はタイで、出来れば本拠地の南タイで観る事が出来れば、と思っています。
BEW「ぜひ、来てください。」
ーー今日はどうもありがとうございました。

インタビュー終了後、2ショットを撮らせてもらいました。
とても朗らかで、明るい性格のビウ。インタビュー中も終始笑顔が絶えず、緊張していた僕も、去年のウーン・ザ・スターの時よりは、多少インタビューらしい事ができたのかな、と思います。
ただ、こうして文字に起こしてみると「あそこでこういう話をすれば良かったのに」と反省点は多々ありますね。
読者の皆さんが知りたいことを聞くことが出来たのかは微妙ですが、彼女の音楽を聴く際の少しでも参考になれば、こちらとしても嬉しいです。
このブログでは、ここ最近、イサーンの音楽ばかりを取り上げているように、普段もイサーン音楽中心に聴いているのですが、タイフェスでビウに再開して、同じタイミングで南タイから1億再生の大ヒット曲が生まれたりと、忘れかけていたタイ南部の音楽の面白さを気付かせてくれた、今年のタイフェスでした。
※インタビュー協力:タイごはんとタイカルチャーの会 在京タイ王国大使館
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